2010年も、早いもので3分の1が過ぎた。皆、正月ボケは脱したろうか??
永井は久々に田舎に帰省し、なんの野望も持たない親兄弟と共に過ごし心身ともにリラックスしてきた。
そんな中、福山雅治が主演ということでなにかと話題になっていた”龍馬伝”第一話を観たのだ。カニのツメを食べながら。
昨年夏くらいにこのキャスティングを聞いた時点では、「え〜!?福山が龍馬ですかぁ〜??」
という感じでイメージが全く湧かず、やっちまった感があってちっとも興味をそそられなかった
永井。
しかし幕末好きでしかも仕事をしている以上、まず観ないとあかんと思いどきどきして観た。
面白い。。意外といいぞ福山龍馬!
特に印象的だったのが、龍馬は末っ子ということで甘えん坊なところをうまく表現していたとこ。これは今までの龍馬ものでは表現しきれていなかっただけに、とても気に入っている。
龍馬(龍馬に限らず)は今まで何人もの俳優が演じているけど、見比べてみると10人10色で非常に面白い。
イメージに合わなくても、おそらく今までの作品の中で自分の中のイメージとぴったりの俳優さんがいるかもしれないので、それを探してみるのもまた面白いと思う。
というわけで2010年、日本に再び幕末がやって来たということで今年初の幕末人物の紹介だ!
ほんとは龍馬が良いんだけど、幕末の四大人斬りをコンプリートさせたいので待っててね。
うふ。
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中村半次郎
薩摩藩士(1838-1877)
「文武に長じた薩摩の洒落者」
後の桐野利秋。日本初の陸軍少将。剣術をほぼ独学で学び、抜き打ちは目にも留まらぬ早さであったという。幕末四大人斬りに数えられているが彼が手にかけた人物は今のところ、慶応三年に幕末の兵学社である赤松小三郎を白昼堂々斬ったということが記録で確認されるのみ。
また洒落者としても有名で、陸軍少将時代はフランス製オーダーメイドの軍服・軍刀、金の懐中時計を身につけ、フランス製の香水を使用していた。
文久二年(1862年)
島津久光上洛に随行し諸国の志士たちと交流。後に薩摩藩家老・小松帯刀に見いだされ、微禄の出身ながら重用された。
その後、長州藩士交わり藩邸に出入りし長州寄りの考えを持つようになるが、禁門の変が勃発。薩摩の一藩士としてやむなく長州を征伐せざるをえなくなる(証言では長州征伐に対して積極的・消極的の二論が残る)。
薩長同盟の際は、両藩和親のために活動。また坂本龍馬暗殺時には犯人探しに奔走した。
明治元年(1868年)
旧幕府軍の掃討戦ともいえる戊辰戦争では、城下一番小隊に属し数々の功績を挙げる。中でも特記されるのは会津藩降伏後における開城の式で、官軍を代表し城の受け取り役を務めたことである(この時の作法は、忠臣蔵の芝居の中での城明け渡しをそのまま真似ただけという逸話が残る。)。
明治二年(1869年)
第一大隊隊長就任
明治四年(1871年)
陸軍少将に昇進
明治六年(1873年)
鹿児島に帰国。翌年、私学校にて開墾事業に励む。
明治十年(1877年)
西南戦争勃発。西郷隆盛を名手に仰いだ士族(元武士)とそれを鎮圧する官軍が激突。
桐野は西郷の傍らにい続けあくまで徹底抗戦を試みたが、敗戦色濃く部隊も40名弱にまで減少。
途中、西郷が被弾し別府晋介の介錯のもと自決するが、それを見届けるさらに進撃。
味方は相次いで銃弾に斃れ、または刺し違え、あるいは自刃した。
それでも桐野奮戦したが、ついに額を打ち抜かれて壮絶な戦死をとげた。
享年40。
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いやー、最後の方書いていて、桐野が凄まじい形相で官軍と戦うさまが頭に浮かんだよ。
まさに
侍魂の固まりだ。
ちなみに、この西南戦争における西郷の戦死で幕末維新は本当の意味で終わりをとげ、これに変わりに明治政府が本格的に始まったことから、”西郷が最期の侍”ともいえる。
え?ダシャレ??狙ってないです(笑)。
《予告》
さて次回の偉人伝は、今もっともアツい漢、遂に坂本龍馬が登場の予定。
ではお楽しみに。