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誕生日


みなさまおつかれさまです☆

私事なのですが昨日早朝、永井の携帯がトラブり修理に出していました。
先ほど修理から戻ってきたので早速メールを確認したところ、たくさんの方から誕生日メールをいただいてました。

ほんとにありがとう☆★

しかし携帯が初期状態になっており登録アドレス等のデータが消去状態だったので、誰のメールか確認できませんでした。

データ復旧したら名前表示されるだろうと思い試みたところ、なんと!頂いた誕生日メールが全て消し飛んでしまいました。。

なので、お祝いメール送って頂いた方々にこの場を借りてお礼と返信できずにごめんねをお伝えします。

ごめんね!ごめんね!ごめんね!

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『幕末人物伝其の四/中村半次郎』


2010年も、早いもので3分の1が過ぎた。皆、正月ボケは脱したろうか??
永井は久々に田舎に帰省し、なんの野望も持たない親兄弟と共に過ごし心身ともにリラックスしてきた。

そんな中、福山雅治が主演ということでなにかと話題になっていた”龍馬伝”第一話を観たのだ。カニのツメを食べながら。

昨年夏くらいにこのキャスティングを聞いた時点では、「え〜!?福山が龍馬ですかぁ〜??」
という感じでイメージが全く湧かず、やっちまった感があってちっとも興味をそそられなかった
永井。

しかし幕末好きでしかも仕事をしている以上、まず観ないとあかんと思いどきどきして観た。

面白い。。意外といいぞ福山龍馬!
特に印象的だったのが、龍馬は末っ子ということで甘えん坊なところをうまく表現していたとこ。これは今までの龍馬ものでは表現しきれていなかっただけに、とても気に入っている。

龍馬(龍馬に限らず)は今まで何人もの俳優が演じているけど、見比べてみると10人10色で非常に面白い。
イメージに合わなくても、おそらく今までの作品の中で自分の中のイメージとぴったりの俳優さんがいるかもしれないので、それを探してみるのもまた面白いと思う。

というわけで2010年、日本に再び幕末がやって来たということで今年初の幕末人物の紹介だ!
ほんとは龍馬が良いんだけど、幕末の四大人斬りをコンプリートさせたいので待っててね。
うふ。


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            中村半次郎


              薩摩藩士(1838-1877)



「文武に長じた薩摩の洒落者」

後の桐野利秋。日本初の陸軍少将。剣術をほぼ独学で学び、抜き打ちは目にも留まらぬ早さであったという。幕末四大人斬りに数えられているが彼が手にかけた人物は今のところ、慶応三年に幕末の兵学社である赤松小三郎を白昼堂々斬ったということが記録で確認されるのみ。
また洒落者としても有名で、陸軍少将時代はフランス製オーダーメイドの軍服・軍刀、金の懐中時計を身につけ、フランス製の香水を使用していた。

文久二年(1862年)
島津久光上洛に随行し諸国の志士たちと交流。後に薩摩藩家老・小松帯刀に見いだされ、微禄の出身ながら重用された。

その後、長州藩士交わり藩邸に出入りし長州寄りの考えを持つようになるが、禁門の変が勃発。薩摩の一藩士としてやむなく長州を征伐せざるをえなくなる(証言では長州征伐に対して積極的・消極的の二論が残る)。

薩長同盟の際は、両藩和親のために活動。また坂本龍馬暗殺時には犯人探しに奔走した。

明治元年(1868年)
旧幕府軍の掃討戦ともいえる戊辰戦争では、城下一番小隊に属し数々の功績を挙げる。中でも特記されるのは会津藩降伏後における開城の式で、官軍を代表し城の受け取り役を務めたことである(この時の作法は、忠臣蔵の芝居の中での城明け渡しをそのまま真似ただけという逸話が残る。)。

明治二年(1869年)
第一大隊隊長就任

明治四年(1871年)
陸軍少将に昇進

明治六年(1873年)
鹿児島に帰国。翌年、私学校にて開墾事業に励む。

明治十年(1877年)
西南戦争勃発。西郷隆盛を名手に仰いだ士族(元武士)とそれを鎮圧する官軍が激突。
桐野は西郷の傍らにい続けあくまで徹底抗戦を試みたが、敗戦色濃く部隊も40名弱にまで減少。
途中、西郷が被弾し別府晋介の介錯のもと自決するが、それを見届けるさらに進撃。

味方は相次いで銃弾に斃れ、または刺し違え、あるいは自刃した。
それでも桐野奮戦したが、ついに額を打ち抜かれて壮絶な戦死をとげた。
享年40。


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いやー、最後の方書いていて、桐野が凄まじい形相で官軍と戦うさまが頭に浮かんだよ。
まさに

侍魂の固まり
だ。

ちなみに、この西南戦争における西郷の戦死で幕末維新は本当の意味で終わりをとげ、これに変わりに明治政府が本格的に始まったことから、”西郷が最期の侍”ともいえる。

え?ダシャレ??狙ってないです(笑)。


《予告》

さて次回の偉人伝は、今もっともアツい漢、遂に坂本龍馬が登場の予定。

ではお楽しみに。


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謹賀新年★


明けましておめでとうございます。

いよいよ西暦2010年となりました。大変きりのよい数字で、こうして見るとなんかすごく未来的かつ何かが起こりそうな数字に感じてしまいます。

昨年はこのブログを通して、皆さんとのコミュニケーションがとれました。見てくださっている方、いつも本当にありがとうございます。
コメント無くとも、皆さんの熱い視線が永井に突き刺さります。

今年の永井、年男ということでよりいっそう精進していきたいと思いますので、どうぞ、皆さんよろしくお願い致します。



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『幕末人物伝其の三/河上彦斎』


寒さもいよいよ厳しさを増してきた今日この頃。皆さんはいかがお過ごしだろう?

永井はあまりの忙しさに幕末人物伝少々更新が遅れ気味。。
そんな中、ようやく三人目に到達。

冬の寒さを吹き飛ばせ!今回は幕末四大人斬りの一人、河上彦斎の登場だ!

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            河上彦斎


              熊本藩士(1834-1872)



「我が日の本は断固攘夷すべきあ〜る!」

河上彦斎といえば、片膝を地面すれすれまで落とし右手一本で切り上げる必殺逆袈裟斬り(Aボタン長押し+→)の達人。
しかし道場剣術はめっっぽう弱かったというから、根っからの現実派実践向き剣客であったといえる。
容姿は小柄で150㎝くらい、色白で一見女性のような感じの彦斎。
その華奢な体で油断させ、必殺技で邪魔な開国派要人どもをばっさばっさと斬りまくる。。という印象をうけるが、実際彼が手にかけた人物ではっきりしているのは、当時日本で最先端の頭脳を持っていた佐久間象山だけである。

そのきっかけとなったのが、明治維新を1年遅らせたという有名な池田屋事件。

彼の出身熊本藩は当時京都警護の任についていたが、八・一八の政変で京の政界から追放された長州藩と同時に熊本藩も帰国を命じられた。これを機に彦斎は脱藩して長州に身を投じたのである。

その後、失地回復を図る長州系過激尊王攘夷志士達は京都池田屋にて密謀を企てる。
その内容は
”風の強い日を選び御所に火をつけ、一橋慶喜・京都守護職松平容保を討ち、公武合体派の公家たちを追放。天子を長州に連れ去る”
という過激なもの。
しかしこの企みは新撰組によって察知されており、多数の志士が命を落とした。

この原因をつくった大本が佐久間象山であるという。
彼は長州の吉田松陰に先進的影響を与えた師であるが、その高い先進性から今日彼の思想は朝廷と将軍家が手を結ぶ公武合体論になっていた。要するに尊王攘夷派と真っ向対立、幕府を補佐し外国との貿易を促す佐幕開国論者なのである。

この影響力を持つ人物が幕閣と結託し池田屋で多数の同士を殺させたと思い、再度上京した彦斎、元治元年7月11日ついに暗殺を決行。
斬奸状をしたため同士4人とともに待ち伏せ。馬に乗り逃げてくる象山の前に立ちはだかり胴をはらい二の太刀で頭を割る。その後仲間の太刀で斬られ佐久間象山あえなく絶命。

その後彦斎は再び長州に帰り禁門の変、第二次長州征伐と参戦し帰国。
一時脱藩罪で投獄されるものの、明治維新後、高田源兵衛と名乗り役につく。

しかし、新政府が開国富国強兵策に乗り出していることに嘆き不満をあらわにするも自粛するが、反政府組織者の匿い、反乱の疑いなどから再び逮捕投獄される。

かつての同士に「新政府に従ってはくれないか」との誘いに断固拒否。初心である尊王攘夷をあくまで貫き、自ら死を選んだ彦斎。

明治四年十二月三日「容易ならざる陰謀を企てた」との罪で斬首。



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”侍”といえば因循姑息の代名詞だけど、彦斎の生き方はまさにその代表といえる。
あくまで初心をつらぬいた頑固一徹★一徹。良くも悪くも武士の魅力はここにあると永井は思う。
何かを達成するためには信念が無ければ脇道にそれて訳が分からなくなってしまうし。。

あくまで国を想って戦った彼ら。学ぶべき所はまさに信念ですね〜。

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『幕末人物伝其の二/田中新兵衛』


歴史人物の紹介っていうのはだいたい”偉人”から始まるんだけど、なぜか”人斬り”から始めてしまったこのコーナー。
しかし、血なまぐさい幕末を語る上で欠かせないのが暗殺事件だし、そしてそれを実行した者がいることも事実。日本の礎えを直接築いた偉人とは言えなくとも、時代を動かすのに必要な存在だったと言える。

というわけで、続く第二回は、幕末の京を騒がした天誅事件の先駆け”人斬り新兵衛”こと”田中新兵衛”だ。

いくぞ!


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           田中新兵衛


              薩摩藩士(1832-1863)



幕末四大人斬りの一人。剣の流派は不明。
もともと商人の生まれであったが、大商人の森山新蔵(後の川路利良:現警察組織の骨組みを日本で初めて築いた日本警察の父)の庇護をうけ士分を得た。
薩摩藩有志の挙兵突出計画の際、鰹船にて脱藩を試みたが失敗。その後、1862年の島津久光上洛の際、随行を試みたが身分違いで断念。最終的に自費にて京上洛を果たす。

長州藩の急進的尊攘論が勢いを増していた、文久二年の京。島田左近暗殺。
前年、桜田門外にて暗殺された井伊直弼大老時代に手腕を振るい、その後も幕権強化のために尊攘派の志士を容赦なく弾圧して多くの政敵を作った彼も、愛人宅にて新兵衛ら3人の刺客に襲われ死亡。首は打たれ加茂河原にてさらし首にされた。

この暗殺劇が、京を騒がす”天誅”と呼ばれる事件の発端となった。

以後”土佐の”人斬り以蔵”とともに暗殺を繰り返し、”人斬り新兵衛”と呼ばれる。
以下、天誅にかけた人物の一部である
・島田左近
・本間精一郎
・渡辺金三郎
・大河原重蔵
・森孫六
・上田助之丞

そして運命の文久三年。尊攘派過激公卿の姉小路公知が、京都御所朔平門外の猿ヶ辻にて暗殺された。
現場に新兵衛の刀が落ちていたことから、容疑者として逮捕される。京都西町奉行所の取り調べで否認するが、証拠の刀を示されるとそれを奪い取って切腹した。
尋問中とっさの出来事だったため真相は迷宮入りしたが、事件生き残りの証言から新兵衛が犯人であることはほぼ間違いないようである。

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彼もまた、以蔵と同じ”剣は友達”タイプだろう。
しかし”暗殺”って、今では到底現実味がなくテレビや映画の世界の話。
なかなかイメージできないけど、自分に置き換えてイメージしてみてね♡


島田左近暗殺のシチュエーションの場合。

ある日あなたは、愛人の家にこっそり忍びこみました。ばれないようにばれないように。。

しかし、実はばればれでした。それも恋人ではなく、学生時代多いにいじめまくった同級生の、弟グループ3人組にです。

そうとは知らず、あなたはえっちな気分で盛り上がり服をぬぎぬぎ。。。

その時です。いきなり窓ガラスが割られ、見知らぬ男三人が抜き身の刀を持ち鬼のような形相で踏み込み突進してました。

尋常のやからではない。こちらは覚えが無いが、明らかに殺気が漂い向かってくる男どもに身の危険を感じます。

とにかく逃げます。半裸ですが気にしていられません。なぜならこの雰囲気は、ボコボコなんて生易しいものではありません。

明らかに死刑執行に来ましたって支度です。

あなたは無我夢中。庭に出るがもはや冷静には対処できず塀を超えようとしました。

ジャ〜ンプ!ガシッ!

見事塀のてっぺんにつかまり片足でまたごうとしたその時です。

サク


あなたは尻を斬られました。

動転して落下しました。

やばい、斬られる!そう思うと同時に今までの思い出、特に悪行が走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。

振り向くと鋭く光るものが自分めがけてやってきます。

とってもゆっくりと。。

プツ


次の瞬間、あなたの首は斬られ河原に晒しものにされていました。


こんな終わりはイヤな人、今日からいじめはやめましょう。
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『幕末人物伝其の一/岡田以蔵』


予告なしに今回から突然始まった連載『幕末人物伝』。

ナゼ急に??と思われるかもしれないが、答えはいたってシンプル。


やりたかったから。


幕末に生きた侍どもを絵と文で紹介していこうという、まさにブログにおあつらえ向きなこの企画。
言ってしまったからにはやらねばならぬプッレッシャーと、なかなか更新しないHPを活性化させようというアツい思いをはせて『幕末人物伝』第一回、いざまいる!

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            岡田以蔵


              土佐藩郷士(1838-1865)



「郷士は侍であって侍にあらず」

戦国時代、四国を支配した土佐出身の豪族長宗我部氏。関ヶ原の戦いにおいて、西軍豊臣方に加担し敗北および改易。
その後土佐国を支配したのは、遠く遠州掛川を治めていた山内氏だった。
しかし当然、先代長宗我部氏の旧臣の反発は強い。これををいきがらせないため、身分階級制度を断行。山内氏の侍は上士、長宗我部氏の侍は郷士という、他藩に比べて徹底した差別化をした。

そんな土佐藩山内家の治める中で以蔵は生まれた。

我流ながらも剣の腕は達者だったが、武市半平太に剣を師事、小野派一刀流を学ぶ。さらに江戸にて、三大道場の一つ士学館桃井春蔵道場にて鏡心明智流を学び剣の腕に磨きをかけ、後も各地にて剣術を学ぶ。

その後、武市半平太の結成する土佐勤王党に加盟。土佐の井上佐一郎殺害を皮切りに、半平太の暗黙の指令などにより本間清一郎・池内大学・森孫六・渡辺金三郎など邪魔立てする要人に天誅と称して暗殺を行い京の街を震撼させた。
薩摩の田中新兵衛とともに「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられたが、師事していた半平太からは冷酷な暗殺者として都合の良い道具的に扱われていたともいえる。

緊張感漂う情勢の中、薩摩・会津藩の陰謀により長州藩が京都から政治的追放を受けた八月一八日の政変後、土佐勤王党も衰退。これにより藩にとって利用価値の無くなった半平太が強制帰藩させられると、以蔵は土井鉄蔵と名を変え京に潜伏。

後、武市一派として捕らえられ日夜激しい拷問攻めにあう中、井上佐一郎殺害などを自白。これを機に土佐勤王党は壊滅。
1865年5月11日。以蔵、打ち首・さらし首となった。

享年28歳
辞世の句「君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき」


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実際いたら近寄りがたい存在だと思うが、そんな以蔵がつい愛おしくなってしまうのが勝海舟護衛の一件だ。
以蔵にとって敵といえる勝海舟を坂本龍馬の斡旋で護衛中、勝を襲ってきた暗殺者、本来ならば味方であるやからを逆に切り伏せ撃退させた。単なる暗殺者であった以蔵の心の中に、ホットな何かが芽生えた瞬間だと思う。

思えば、以蔵は寂しかったと思う。なんの希望も見いだせない厳しい身分差別の中、自分が頼れ信じれるものは剣のみ。その自分の全てである剣を、師事していた武市半平太のためにふるい、ひたすら尽くした結果利用され疎んじられた。

そりゃあ、すねたくもなります。
しかし以蔵さん

斬っちゃだめだよ。



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ようやく『たそがれ清兵衛』を観た


【表題の件、ご確認お願い致します。】

というわけで、今このブログを書いている永井はなぜか結構眠い。
なので絵の説明を超簡潔に書いてすぐに目の前の布団に入りたいと思う。

時は幕末、庄内藩(現山形県内)の下級武士である清兵衛は、お偉いさんに上意討ちの討手に無理矢理選ばれ対決場所に連れられる。
以前友人に、妹の朋江があんたを好いてるから嫁にもらえって言われたが、かたくなに拒絶。

しかし、それ以来気になっちゃって出発前に「決闘に勝って戻ったらオレの嫁になれ」と困った申し出をする。
しかし残念、妹は既に会津藩の男と結婚の約束をした後。

清兵衛さびしく決闘へ。

負傷を負い、さびしく帰宅の清兵衛を待っていたのはな〜んと朋江さん。

永井がちょっとウルった、男清兵衛感激の一コマであ〜る。


おやすみなさい。。
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『武士道残酷物語』


地元のTSUTAYAでよくDVDを借りるんだけど、前から気になっていた映画『武士道残酷物語』をようやく借りることができた。

「ようやく」といっても”人気がありすぎてなかなか借りることができない”というわけではなく、

”いつ行っても残っていて延長しても誰も文句いわない”

感があってなかなか借りられないという意味である。

そもそもどういうきっかけでこの映画に出会ったかというと、時代物コーナーで映画を物色していた時である。

『たそがれ清兵衛』うん、いいね。

『長州ファイブ』お、観たよこれ。

『壬生義士伝』最高の一品。

『武士道残酷物語』なんだ、こりゃ!?

思わず手にとるおれ。
1963年製作のモノクロ映画で、主演はもと歌舞伎役者だった中村錦之助。
ジャケットはというと、恨めしそうな武士と、今にも”おハラを召します”的な白装束の武士イラスト。しかしどっちかというと裏ジャケの方がインパクト大ですさまじい

ホラー映画借りるつもりなら気持ちの準備はできていたが、ただカッコイイ時代物借りようと思ってやってきたおれは一瞬ひるんだ。
自由が丘のかわいいスイーツ店で、パフェ注文したら”でかい豚丼”がでてきたノリか。

気にはなるんで今まで何度も借りようと思って手に取ったことはあるが、考え直し借りたのは

『カンフーパンダ』。

ついつい無難な映画に行ってしまうオレはかわいい。

しかしついに意を決して観たよ。
ストーリーはタイトル通りブラックで期待を裏切らない。

”戦国末期から現代社会まで7代にわたって続く武家一家の悲惨な運命”

結構キテる。中村錦之助が、続く7つのストーリーでそれぞれ主役を演じ分けているんだけど、いつも不幸で

まるで昼の連ドラ
的なノリが午後の満たされない奥様を満足させる。

内容もドロドロしていて、男女関係が一族最大の問題になっており武士と藩主の主従関係がストーリーに凄みを与える。

そして物語が進むにつれ、ある重大なことに気づいたおれ。

”う〜む、笑いどころが全くないわぃ”

鑑賞中は笑顔用の筋肉は無きものと知れ。悲痛の表情のみが顔面を覆う。
最後は一応ハッピーエンドだが、なぜかこの後も不幸なことが続いてくんだろうな〜と思わざるを得ないほど、不幸な伏線が見事にはられた珠玉のような映画だ。

中でも強烈にインパクトあったストーリーの主人公を描いてみたよ。
多分ジャケットの侍もこの人だと思う。



剣の達人が藩主に奥さんを奪われ、やがて愛弟子、娘をも陰謀により自分の手で殺めてしまう。しかし武士であるだけに主には絶対逆らえず、結局は割腹して果ててしまう。

なんて、な〜んて恐ろしい!

ちなみに、永井は自称武士でなくて浪人なんでシキタリは関係ありません。


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新刊案内


本日、朝日新聞出版社刊行の文庫『悪人』(:吉田修一)が発売されました。
こちらは既に10万部の売り上げを誇る書籍で、今回単行本化するということで先月表紙絵作成のお話を頂きました。
上下巻同時発売で、画像のようなシンプルなカラーリングが印象的な表紙となりました。
(ちなみに今回は、めずらしくスミ線のみのイラストレーションです。)



実はサーバー不調で、ブログにて紹介することもなく終わってしまいましたが、先月、学陽書房刊行『中岡慎太郎』(堀 和久・著)がこれまた上下巻同時発売されました。
永井の歴史シリーズ進出の記念すべき第一弾★しかもそれが大好きな幕末ときたもんだ!!これまた目から波動砲ってやつだな。え、諸君。
慎太郎と言えば龍馬の影に隠れがちな存在ですが、彼は行動力・胆力がずば抜けており、生きていれば日本の政界に影響を及ぼす大人物になっていたと思います。
どちらかというと現実型で誠実で男気に溢れた感じ。うん、生き生きしているよ、しんたろぅ★



あと事後報告になってしまい申し訳ないが、10月28日〜11月2日にかけて銀座「ミレージャギャラリー」にて、毎年恒例のベストアーティスト4に参加したのだョ。

今回の展示は「幕末人斬りシリーズ」。中村半次郎、岡田以蔵、河上彦斎、田中新兵衛を出品。
31日のパーティーはハロウィンということもあり、参加者一同仮装しての大パーティーになりました。
このコスプレ大会、永井は自前の着物に刀を腰にぶっさしそのまま人斬りにて参加。
そんな永井に他のコスプレーヤーが殺到(というほででもないが)、撮影依頼をお願いされ、思い切りポーズを決めカメラ目線で完璧になりきったコスプレーヤー



いやー、仮装ってのは楽しいもんだねぇ。今まで日本にはこんな文化はないもんね。公に仮装できるお祭りってハロウィンくらいしかないいし。ニッポンジン、コスプレスキネ〜って思うから、これからどんどん普及しそうだ。

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展示のお知らせ


今日から駒沢大学駅隣接のTOKYO PEOPLES CAFEとのコラボレーション企画、永井秀樹「世田谷浪漫」展が開催です。

今回の展示内容は地元駒沢での開催ということで世田谷区をテーマにし、駒沢をはじめ新町、三軒茶屋、下北沢の町並みを描いてみました。
また、世田谷は幕末の人物と密接な繋がりのある場所でもあり、今回別のテーマでシリーズ化した「世田谷 幕末人物伝」も同時発表しています。

結構タイトなスケジュールの中で進行したためイメージ通りいくのか不安でしたが、昨日無事に搬入を終え、なかなか見応えのある飾り付けになりました。
が、しかし。宣伝が間に合わず、今のところ知る人ぞ知る展覧会なので、結構レアかも(笑)。

お店も少々変わっており、名前読んでピンときた人はスルドイ。東京都民銀行とカフェがコラボレーションしたお店なのです。

お店の奥に銀行があり、カフェの入り口がお店と銀行の入り口となっているわけなんですね〜。
夜は銀行のシャッターが閉まるので、完全なカフェ空間になるんですが、平日の昼間に行くと銀行へ繋がる通路の役割をしている、なんとも不思議な感じなのです。

お店は駅と直結しているためアクセスは非常に便利で、地下1階にあるため隠れ家的な要素も含んでいます。
また駒沢大学がある出口とは逆にあるので、学生がたむろするような雑多な感じはなく、むしろ静かな空間で本を読んだりおしゃべりしたりと、老若男女が気軽に訪れる非常にリラックスできる空間であります。
気なる方はぜひ一度足を運んでみてください。

展示詳細
永井秀樹「世田谷浪漫」展
・展示期間:2009年8月10日〜2009年9月30日までの二ヶ月。
・アクセス:東京メトロ田園都市線「駒沢大学」駅東口。回天扉出て1秒。
・場所:TOKYO PEOPLES CAFE 店内
・住所:東京都世田谷区上馬3-18-11 B1F
・電話:03-5779-8564
・営業時間:8:45〜23:00(月〜木)、8:45〜24:00(金)、10:00〜24:00(土)、      10:00〜23:00(日・祝)
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